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中高野球部のマジメ人間でしたが、
その結果…
さて、本題です。
前回は、好きな音楽を大学の時から続けて、それが心の支えになっていたり、人生の豊かさにつながっている、というお話でした。
今回も「続ける」という話なのですが、全然違う結論になります。
結論から申し上げますと、
やりたくないことをマジメに頑張った結果、「歪んだ成功体験」によって大人になってからメンタルが病んでしまいました、という話です。
みなさん、部活はやってましたか?
意外に思われることも多いのですが、私は、中学・高校をとおして、野球部に所属していました。
高校はバリバリの硬式野球部でした。
私が中学・高校時代を過ごしたのは昭和50年代後半です。
スポーツと言えば、野球が一番人気でした。
「巨人の星」をはじめとする昭和スポコンアニメなどの影響で、野球部と言えば「一番厳しい部活」というイメージが定着していました。
実際、厳しいところが多かったと思います。
うさぎ跳び、練習中は水を飲んじゃいけない、根性、気力、精神論、先輩や監督は絶対的な存在…
私の学校もそんな感じ。
時代的に仕方ないのですが、色々と間違った常識がまかり通っていましたね。
野球をやって良かったことも、もちろんありました。
私は幼少期から同じ年の子供と比べて体が小さく、食も細く、ガリガリのチビでした。
だから、バカにされることも多かったですね。
で、野球部で鍛えられて、体力・筋力・運動能力が向上。
食事も、高校生の頃は、普通の2人分以上は食べてました。
結果、体の面ではとても良かったと思います。
一方、気力の面でも、努力の仕方でも「良い効果があった」と、勘違いしていました。
そう、勘違い。
根性で頑張れば、なんでも乗り切ることができるんだ、という「勘違い」が染みついてしまったのです。
そもそも、野球はそんなに好きじゃなかった。
小学校の頃は遊びといえば野球だったので、そこそこはできました。
でも、「どうしても野球がうまくなりたい」とか「野球が好きでたまらない」とかじゃなかったです。
じゃあ、どうして始めたのか?
忘れもしない、小学校5年生の時。
兄が中学校で野球部に入りました。
その頃は、兄のやることは何でもやってみたい時期でした。
そこで、
「ボクも中学生になったら野球部に入りたい」
みたいなことを言ったんです。
そしたら、家族がそろって
「いやあ、お前には無理だよ」
と言うのです。
ガリガリのチビだったので、そう言われるのも仕方のないいことですし、家族も本音をそのまま口にしたんだと思います。
私は悔しかったですね。
その時は言い返せなかったですが、
「ボクにもできるもん!」
「やって見返してやる!」
という反抗心をメラメラと燃やしたことを今でも覚えています。
野球部に入ったのは、そんな不純な動機です。
まあ、やっているうちに少しずつうまくなるし、そのうち人並みに身長が伸びるし(筋肉は付きづらかったですが)、その時は根性で頑張れたので、高校の最後の夏ころには、あのガリガリのチビがレギュラーメンバーに手が届きそうなところまでいきました(弱小校でしたが)。
友達もできたし、それなりに充実した部活動だったと思います。
運動の効果か、勉強の方も(根性で)頑張れました。
勉強法なんて考えず、自己流でとにかく頑張る、というやり方です。
そして、私の住んでいた地域では「名門」と呼ばれる大学に合格しました。
そこで大いなる「勘違い」が生まれてしまったのです。
・野球で頑張って
・勉強も頑張って
・受験も頑張って
・それなりに周りからも認められて
「そんなオレが正義だ」という思い上がりです。
また、当時は、親や先生の目には真面目な良い生徒と映ったことでしょう。
そして、
・オレのやり方が正しいんだ
・オレの言うことが正しいんだ
・オレの考えが正しいんだ
・分からないことも考えれば正解を出せるんだ…
とんでもない傲慢な人間が生まれました。
「正しさ」を求めていました。
正しくあろうとしました。
・誰からも一目置かれる(と勘違いして)野球部でマジメに頑張るのが正しく、
・勉強を頑張るのが正しく、
・頑張って志望校に合格するのが正しい。
だから「それを実現したオレは正しい」という訳です。
書いてて、恥ずかし~(笑)
そして、「やりたくないことでも根性で頑張れば目標が達成できる」という、今考えると間違った成功体験を得てしまった。
自分が正しく、間違っているお前を正してやる、という態度で他人と接する。
当然、他人とぶつかりまります。
意見が食い違うと相手を論破しないと気が済まない、論破されると悔しくて仕方がない。
そして、プライドが高い。
他人から素直にやり方を学ぶ、ということをせずに自己流で頑張る。
それでそこそこの成果が出るから質が悪いです。
卒業論文も、民間企業に勤めた時の仕事の進め方も、公務員試験に臨むときも同じスタンス。
やりたくないもことを、やり方を学ばず、自己流で、根性で頑張る。
他人からやり方を学べなかったですね。
それをすると、自分の正しさが崩壊して、プライドが大きく傷ついてしまうから、怖かったんだと思います。
20代半ば、民間企業でのパワハラを機に「公務員になろう!」と心に決めて、これも根性で公務員試験を頑張って晴れて公務員になりました。
公務員になって、私の身に平和が訪れたかのように思えました。
公務員の仕事も、やりたいことではありませんんでした。
「クビになることはない、安定した職場でテキトーに働いて、プライベートを充実させればいいよね」
と考えていたのです。
数年間はそれでうまくいきました。
その後、何が起こったか。
メンタルの崩壊が起こりました。
「やりたくもないことを
やり方を学ばず自己流で
根性で頑張る」
これは、部活や大学受験や公務員試験や短期のプロジェクトのような、期間限定であれば、一時的に成果が上がることもあるでしょう。
また、若いうちは頑張りが効く、といいうこともあるでしょう。
まさに、私がそれで成功体験を得たわけです。
ただ、それは、「燃え尽き症候群」への道だったのです。
30代半ばで、私は必然的に燃え尽きて、メンタルを病みました。
私の場合は「メニエール病」でした。
鬱にならなくて、ラッキーでした。
燃え尽きのメカニズムはここでは詳しく申し上げませんが、大人になってからもやりたくないことを頑張ってやっていたら、3年~5年で燃え尽きて病んでしまうんではないか、と思います。
思い返せば、私の公務員時代の職場の人たちの1~2割は病んでいたと思います。
やりたくない仕事を気持ちを押し殺してガマンしてやり続けることの必然的な結果です。
「でも、プライベートさえ充実させればいいよね」というのも大間違いです。
かえって、仕事とプライベートのギャップに耐え切れず、病んでしまいます。
それほど、現代社会の環境は私たちの心とのミスマッチを起こしているのです。
あなたは、
やりたくもないことを我慢して頑張っていませんか?
そして、プライベートと仕事のギャップに苦しんでませんか?
日曜日の夜、月曜日の仕事のことを考えて憂鬱になるのであれば、その兆候があります。
最初の1~2年はそれでも良いかもしれません。
でも、なるべく早いうちに適切に対処しないと、
仕事に向かう気力も、プライベートを楽しむ余力も、尽きてしまうかもしれません。
もしかしたら、楽しい・うれしい、という気持ちすら忘れてしまうかもしれません。
私は、公務員の時に「こんな仕事やってられるか! 辞めてやる!」と決意して、起業の道を模索しました。
その結果、運良く「心理学的に正しいやり方」を学ぶことができました。
・やりたくないことをやるときはどのように捉えればいいのか?
・困った上司や同僚にはどのように対処すればいいのか?
・理想の人生を生きるためにはどうすればいいのか?
人生半ばでしたが、そういうことを学べて、人生が変わり、本当の意味での幸せな人生が手に入って良かったと思います。
燃え尽きた体験も、あれがあったから今があると思えます。
パワハラ上司にも感謝しています(会いたいとは思いませんが)。
それまでも「自分は幸せなはずだ」と思い込もうとしていましたが、頭で理解しようとするのと、幸せな人生を生きるというのは、本質的に異なります。
そうやって思い込もうとしていていると、現実から目を逸らして事態を悪化させかねません。
あなたは、いかがですか?
人生を変えるのに、早すぎるも遅すぎるもないと思っています。
私は、これからも思う存分人生を楽しんでいきたいと考えています!
それでは、また!
心理カウンセラー
星野 匠
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