メンタルボロボロの私が心理カウンセラーになるまでのストーリー

私は北海道の田舎町に三人男兄弟の次男として生まれました。
当時の基準でも決して裕福な家庭ではありませんでした。
むしろ貧乏暮らしで、そんな中で私たち兄弟を育てあげた両親を、今ではとても尊敬しています。
しかし、言うまでもなく両親も完璧なわけではありませんでした。私自身も、生まれつきひねくれた資質を持っていました。それに伴って、心の奥がねじ曲がった性格に育ってしまいました。
その結果、人間関係で数々の失敗をしました。私のモラハラが原因で離婚も経験しました。好きで結婚した相手のことを傷つけ続けていたのです。
そして、人生がどん底の時、無価値感でいっぱいでした。「自分はこの世に存在しない方がいい」そんな風に思っていました。また、毎日、「上司が嫌だ!こんな仕事は辞めたい!」とばかり考えていました。そんな辛い人生を歩んできました。
でも、その辛かった時には、自分のメンタルに問題があるなんて、思いもよらなかったのです。
その後、ともに心理学を学ぶ仲間と出会い、自分と向き合って心を癒やすことができました。
今では、以前の悩みが嘘のように消えてなくなりました。好きな人達に囲まれて軽やかな心で穏やかに幸せな毎日を過ごしています。
今回、以前の私と同じような悩みを抱えるかたに向けて、私の半生を振り返りました。読んでいただき、人生を考えるきっかけになればうれしく思います。

◆極度の引っ込み思案
小学校に入る前のことです。家族や他人とのコミュニケーションを取るのが超絶苦手でした。特に、自分の気持ちをうまく話すことができませんでした。そして泣き虫でした。例えば、何か嫌なことをされたときに「やめて」と言おうとすると、感情が高ぶってしまうのでした。言えずに「うっ」と声が詰まって嗚咽が漏れそうになる感じでした。そして、「言いたいことがあるならはっきり言いなさい」と怒られ、言おうとすると泣いてしまうということがしばしばありました。
うまく自分を表現できなかったので親に察して欲しくて甘える気持ちが強かったです。内弁慶な側面もありました。なので、何を考えているのか分からない子供でした。
兄弟で遊ぶことが多かったです。でも、本当は誰にも邪魔されずに一人で遊ぶのが好きでした。

◆お前は間違っている
親とすれば教育やしつけの一環だったのでしょう。「お前は間違っている」と頭ごなしに否定されることが多かったです。それも、根拠を示さずに。「なんで?」と聞いても明確に答えてくれずに、親は不機嫌になるだけです。
私自身が正しいと確信していることでも「それ違う」「間違っている」と言われました。そんなときは「自分の正しさを証明」しようと躍起になっていました。それでも認められずに悔し涙を流すこともありました。
少年野球で逆転のヒットを打ち、大活躍して周りからは褒められた時のことです。良い気分でそのことを親に言うと「お前の力ではない。前にランナーがいたからだ」のようなことを言われました。また、学芸会の劇で結構目立つ役をやった時のこと。親の感想は「お辞儀がだらしなくて恥ずかしかった」というダメ出しだけでした。あまりほめてもらった記憶がありません。
ほめてもらえるのは学校のテストで良い点数をとった時くらい。そういうときでも、「ここがこうだったらもっと良かったのに」と言うことを怠りませんでした。
親からは基本的にダメ出しが多く、結果のみに着目して評価されがちでした。そして、気持ちを察してくれる発言はあまりありませんでした(と感じていただけかもしれませんが)。
このような経験から、他人と意見が食い違ったときにどっちが正しいのかにこだわるようになりました。自分と異なる意見を受け容れられなかったのです。
また、親にはどうせ分かってもらえない、と思うようになりました。

◆自分の正しさを証明しようとする日々
中学になり、野球部に入りました。
スポーツの中では野球が一番好きでした。でも、部活に入ってやるほどではありませんでした。
それなのになぜ野球部に入ったかというと、理由は次のとおりです。
私が小学校だった頃、兄が中学の野球部に入った時のことです。私が「ぼくも中学校になったらやりたい」と言いました。すると、親や兄から「お前には無理だ」と即座に否定されました。だから、「野球部に入って見返してやる」「両親や兄が間違っていることを証明してやる」という気持ちが強かったのです。
そして、周りから無理だと思われるようなことも、まじめに頑張ればなんとかやりきることができる、という成功体験につながりました。
一方、勉強は比較的得意な方だったので、結果が出て、北海道という田舎ではトップクラスの高校・大学に入学することができました。
でも勉強自体はそれほど好きなことではなかったのです。大学に入ってどんな将来のためにどんな勉強をしようなんて何も考えていませんでした。親に認められるために勉強をしていたのかもしれません。
そしていつしか、「自分の正しさを証明するためにやりたくもないことを気力で乗り切る」というパターンができてきました。
定期試験や大学受験も、追い込まれてから頑張って挽回するパターンを繰り返しました。
それが後々、地獄を招くことになるとはつゆ知らず・・・

◆あれっ? 頑張れない
大学に入ってから、勉強に情熱があるわけではないので、学校に行かず友人との遊びやだらだらと過ごしたりすることが多くなりました。どうも、講義に出たり勉強したりするのがめんどくさくて仕方がなかったのです。それよりも飲みに行ったり麻雀をしたり、そして昼まで寝ていたり、ダメな学生の典型でした。
あれ? おかしいな? と思いました。真面目なはずの自分が、頑張れないなんて。持ち前の「追い込まれてから頑張って挽回するパターン」もなかなか発揮できなくなり、二年留年する羽目になりました。
その時は「頑張ればなんでもできる」と思っていたので、留年してからは、「頑張れない自分はダメだ」と落ち込みました。落ち込むからなおさら頑張れない、という悪循環におちいりました。
親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。なぜ、頑張れないのか、その時は理由が分かりませんでした。心理学を学んだ今では「燃え尽き」だということが分かりますが、そのときは何がいけないのか皆目見当がつかず、「ダメだダメだ」と自己否定ばかりしていました。
それでもなんとか最後の方は「追い込まれてから頑張って挽回する」というパターンを発揮して、なんとかギリギリで卒業し(就職で旅立つ日まで卒論に手を加えていました)、乳業会社に就職しました。

◆最後の成功体験
乳業会社に就職し、配属先は埼玉県の工場でした。
職場は夜勤もあり年休も取りづらい状況でした。大学から始めた趣味の音楽活動が思うようにできないのが大きな悩みでした。それでも、慣れない暑さと体がキツい中、なんとかやっていました。
そんな時、高圧的な上司(今だと間違いなくパワハラ認定)が異動してきたのです。
毎日のように怒鳴られるようになりました。そして、転職を決心したのが社会人3年目の時でした。
転職と言っても面接とかは苦手だし、今のように転職に対するサポートがない時代だったので、学力だけで勝負できる公務員の道を選択しました。
毎日仕事で疲れている中、勉強をして、公務員試験を受けて合格しました。
ここでも、持ち前の、追い込まれてから頑張って挽回するパターンを発揮しました。
そして、大学での挫折(留年)で傷ついた自尊心を取り戻せたような気がしました(やっぱり自分は頑張ればできるんだ!)。
しかし、これが私の人生の中で、このパターンによる最後の成功体験となりました。

◆束の間の平和な日々
北海道に戻ってきて、仕事もそこそこ、趣味の音楽もそこそこ、遊びもそこそこ、のまあまあ満足出来る生活を手に入れました。
しかし、職場では相変わらず「自分の正しさを証明」しようとしていました。そのため、時には議論をして周りとぶつかりました。相手を傷つけたり自分が傷ついたりして、「自分は正しい」「なんで分かってくれないんだ」「分からない周りはバカばっかりだ」と思っていました。
ただ、嫌な気持ちになることはあったものの、全体的には束の間の気楽で平和な毎日だったと思います。

◆頑張れないダメな自分に再び転落
公務員になってから4年目、部署が異動になりました。
そこは、「私頑張ってます」ということをアピールする人が多い職場でした。私にとっては「これやる必要あるの?」と思われるような仕事を、多くの人が夜遅くまで残ってやっていました。「仕事を効率的に行って成果を上げる」というよりも、上司や本庁や議員の先生方に「認めてもらいたくて」頑張っている、という感じでした。
そして部下に対しては支配欲丸出しで、高圧的に接してくる「サル山」の世界でした。
当然、「やりたくもないこと」かつ「やる必要がないと思われるもの」を「やれ」と強制されました(仕事なので仕方ないのですが、「上司が誰かにいい顔をするため」だったりするのです)。
そんなことを続けているうちに3度にわたりメニエール病になってしまいました。メニエール病はストレスによってめまいがする病気です。
そして、「どんな嫌なことでも頑張れば乗り切れる」というセルフイメージが完全に崩壊してしまいました。再び、「頑張れない自分 = ダメな自分」になってしまいました。ズーンと深く落ち込みました。常に重苦しいものが胸の奥に詰まっていました。スッキリすることなく吐き気を感じ続ける毎日でした。
当時結婚していた相手に対しても「自分の正しさを証明」しようとしていました。相手の気持ちを理解せず、価値観を押し付けていました。今で言うモラハラ夫です。好きで結婚したはずの相手から結婚後4年あまりで離婚宣告されました。
その後、再婚相手と出会い、付き合い始めてから少し気持ちが持ち直しました。しかし、再婚後、その相手にも同じようにモラハラをしてしまいました。私自身は自分が悪いなんて思っていなかったわけですから。離婚で苦しんでいた私を救ってくれた彼女を、そんな風に傷つけてしまいました。最低な人間でした。
家庭も職場もうまくいかない、そんな辛い気持ちをなんとかしようと、自己啓発書や心理について書かれた本を読みました。でも、根本的なメンタルは変わらず、辛い状況が続きました。
そんな中、家を建てて「自分が死んだら保険金も出るし家も家族に残る」と考えたとき、強烈な無価値感に襲われました。「自分がこの世に存在しない方がうまくいくのでは」と思うと、とめどもなく涙が流れてきました。

◆苦悩を乗り越えて幸せの道へ
その後も、生きづらさとともにモヤモヤと重苦しいものを胸の奥に抱えたまま長年過ごしてきました。
すでに公務員の仕事に情熱を持てなくなっていました。職場環境も好ましくない(と感じていた)ので、「なんとかしてこの状況から脱することはできないか」と考えるようになりました。そして、簿記の勉強をして転職のためのスキルアップを図ったり、ネットビジネスの情報を集めたりしていました。
そのうち、ネット起業できれば家族との時間も十分持てる、それに、二度とサル山の世界と関わる必要がなくなる、と思うようになり、その方法を模索するようになりました。
そんな風に人生を切り開こうともがいている中、とある心理系のオンライン講座に入会しました。そして、そこで心理学を学ぶようになったのです。そのうち、これまでの自分の頑張り方が結果の出づらい間違ったものだった、ということを知りました。そして、その場で、仲間・環境・方法論・指導者を得て、正しい努力を続けていったのです。そうすることで、自己受容することができ、自己肯定感が高まってきました。また、その講座ではセミナーやセッションの練習をオンラインで行える環境が整っていて、そこでたくさん練習することができました。
それまでは、自己流でフィードバックも受けずに「頑張ればできるはず、できないのは頑張りが足りないから」という考えでがむしゃらにやっていました。孤独に頑張っては結果が出ずに落ち込んでいたのです。しかし、正しい方法で楽に努力を継続して、自己受容できたことで、人間関係・家族関係にまつわる悩みが全くなくなってしまいました。職場も家庭も極めて居心地の良い場所に変わっていったのです。
そして、私自身がメンタル改善でたどってきた道を心理学的な知見に基づいて体系的に整理しました。それを他の人に提供してフィードバックをもらいつつブラッシュアップしたものを「メンタルデザインメソッド」としてまとめました。

◆過去の自分と同じように苦しんでいる人を救いたい!
過去の自分のように、
・生きづらさや無価値感を抱えながらも人生を切り開こうと懸命に生きている人
・どうしたらいいのか分からないのに弱音を吐けない人
・「頑張ればできるはず、できないのは頑張りが足りないから」と孤独に苦しんでいる人
が少なからずいるはずです。
もしかしたら、あなたがそうかもしれません。
もしそうだとしたら、私が苦しみから抜け出したように、あなたを苦しみから救い出します。
何ができてもできなくても、何をしてもしなくても、あなたにはかけがえのない価値があります。
あなたはあなたのままで大丈夫なのです。

私は「メンタルデザインメソッド」を広げることで、この世の中を、自分や他人に寛容で自己否定も他者否定もせず多様なものが調和した幸福感あふれる世界に近づけたいと本気で思っています。
愛 ✕ 感謝 ✕ 寛容 ✕ 調和 = 幸福
次は、あなたが幸せになってください。
私は、あなたが幸せに向かって力強く歩き出せるようになるまで、寄り添ってともに進みます。