・頑張っているのになかなか結果が伴わない。
・欠点だらけの自分のことが嫌い
・すぐに落ち込む
・どうしても許せない人がいる。
・生きがいを見いだせない。
・他人といても孤独で寂しい
・そして、日々生きるのが辛いと感じている。
このブログではそんなあなたに向けて
「あなたが幸せになるために必要なたったひとつのこと」をお伝えします。
そして、あなたが自ら人生を切り開き
愛と豊かさと幸せを手に入れてもらうために、
寄り添って共に進みます。
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それでは、本題です。
愛っていう言葉、よく使いますよね。
愛している、もう愛がなくなった、愛にあふれている、愛が足りない。
このブログのタイトルにも使っています。
それでは、「愛」ってなんでしょう?
この問いに明確に答えられるのは、常日頃から「愛」について考えているかたに限られるのではないでしょうか?
この「愛」という言葉、分かっているようで、かなり漠然としている言葉ですよね。
好きだという気持ち? 思いやり? いたわる気持ち? 大切にする気持ち?
私にとってはこれらの解釈がしっくりこないので新たな定義づけを試みました。
「愛」とは、「対象の、存在、価値観、感情、気持ち、考え方などのありのままをまるごと受容すること」です。
受容と同意は違います。
価値観が違ってもいいんです。
感情・気持ち・考え方が理解できなくてもいいんです。
「あなたはそうなんですね」と相手の存在そのものをまるごと認めること。
それが「愛」だと考えています。
だから、「愛する」=「相手を受容する」ということになります。
相手のことが嫌いでも「愛する」ことができるんですね。
どんなに嫌いな相手でも、その相手が存在して独自の価値観や考え方を持っていることは、(難しい人には難しいかもしれませんが)可能なわけです。
「愛」を「恋愛」とか「性愛」とからめて考えるからややこしくなるんです。
恋愛とか性愛は、異性という刺激に対する体の反応(内分泌系や神経系)にすぎません。
つまり、恋愛ホルモンと言われているPEA(フェニルエチルアミン)や男性ホルモンや女性ホルモンの働き、さらには性的な興奮などが相まって、相手のことをいとおしく大切なものだと勘違いする、子孫を残すためのシステムです。
そういう理性を失った状態から覚めることを「愛が冷めた」と表現したりしますが、それは単なる勘違いで、本当の意味での「愛」が最初からなかったと考えるべきです。
そして、それからその相手とどのような愛を育んでいくのか、もしくは他に刺激を求めて同じことを繰り返すのか、選択できるわけですね。