見下してくる人は、
そうしないと心が保てない不安定な人。
見下すことで、
「偽り」の自己肯定感を高め
承認欲求を満たしたように「勘違い」する。
偽りで勘違いだから、
またすぐに誰かを見下したくなるし、
見下す相手を常に探している。
一方、
「見下されやすい人」というのは、
似たような
心理状態にあって、
需要と供給がマッチしている可能性が高い。
そこから抜け出して、
自分の人生を幸せに生きるための方法です。
あなたの周りに
「なんだ、そんなことも知らないんだ笑」
「お前その程度なの? オレなんて…」
「あなた、かわいそうね…」
みたいに
こちらを見下してくる人はいませんか?
私たちは
誰かから見下されると不愉快になりますが、
実は
見下してる人の方が
かなり残念な心理状態なんです
つまり
①自己肯定感が低く劣等感が強い
②承認欲求が強い
③不安が強い
という不安定な状態で、
「相手を見下さずにはいられない」
「見下すことによってかろうじて心を保っている」
「かわいそうな人」
なんです。
一つずつ
詳しく見ていきます。
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①自己肯定感が低く劣等感が強い
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「オレの方が上」というのは、
一見、
「自信があるよう」に見えますが、
実は逆です。
劣等感が強いです。
劣等感が無くて本当に上なら、
アピールする必要なんてないんです。
だから、
他人を見下すことで、
自分の方が上なんだという感覚を持つことによって、
「偽りの自己肯定感」を得ようと
してるんです。
偽りなので、
一時的に自己肯定感が得られたとしても、
すぐに自己肯定感が下がり、
また誰かを見下して、自分を保とうとする。
だからいつも、
見下す相手を探しています。
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②承認欲求が強い
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承認欲求は誰でも持っていますが、
それが強い人は人ほど相手を見下しがちです。
「他人から認められたい」
という思いが強いあまり、
「自分は優れているんだ」
「自分は価値ある人間である」
とアピールしたくてたまらないのです。
その手っ取り早いアピールが
「お前よりオレの方が上」ということ。
つまり、
他人を見下す言動につながっているのです。
本来、人間の価値は
誰かから認められることで決まるわけではありません。
また、
誰かより上だとアピールしたところで、
たいていは独りよがりで
本当の意味での承認欲求は認められません。
むしろ、
自慢する人は嫌われますよね。
でも、
見下す人にはそれが分からないので、
見下した時の
「一時の優越感」を求めて、
「もっともっと」とエスカレートします。
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③不安が強い
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自分よりも才能がある人や人気がある人が出てくると、
・自分の立場が脅かされるのでは
・自分の価値が下がるのでは
・周りの注目がそちらにいくのではないか
などと不安や恐れを抱きます。
そのような心理から、
「勝手に相手を敵対視」し、
「その人を認めたくない」という
気持ちから、
見下した態度をとって、
周りにも「自分の方が上だ」と
アピールしたくなるのです。
迷惑な話ですね。
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見下すのを止めて
豊かな人間関係を築くためには
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人を見下している人は、
豊かな人間関係を築きづらいです。
それが悪いわけじゃないです。
人生は人それぞれですから。
でも、
人を見下す人生から抜け出したい、
とお考えであれば、それは可能です。
そこから抜け出すためには、
欠点も含めてどんな自分も受け入れて、
自分で自分を認めていけるようになることが必要です。
(つまり、「心の自由人3ステップ」を実践していただくと良いのですが、ここでは割愛します)
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見下されないために
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一方、
「人から見下されたくない」
という気持ちを持っている人は
多いでしょう。
実は、
人から見下される方も、
見下す人と同じく、
・自己肯定感が低く
・自信がなく
・承認欲求が強く
・不安が強い
んです。
「同類同士」が引き寄せ合っている
とも言えるでしょう。
だって、
自己肯定感が高く
自信があって
不安でも行動できる人は
見下されても気にしないですよね。
見下してきた相手に「分かってもらいたい」なんて思いませんし、
何を言われても「他人は他人、自分は自分」と思えますので。
だから、
見下されて不愉快な思いを抱えている人は、
ちょっと自分と向き合う必要があるかも
しれません。
「誰かの役に立っていないと自分には価値がない」
とか
「誰かの力になっていないと、ここにいてはいけないんだ」
とか
思っていませんか?
「○○な自分はダメ」
「そんな自分には価値がない」
そんな感覚を「自己無価値感」と
いいます。
そういう無意識的な心の働きがないか、耳を傾けてみてください。
自己無価値感が強いと、ズルい人に利用されがちです。
利用されているとはいえ、
・貢献できている
・認められている
・承認欲求が満たされる
という感覚を得ることができるので。
需要と供給がマッチしているとも
言えます。
それが
悪いわけではないですが、
自分の人生を生きていないので、
幸せを感じづらいかも
しれません。
幸せとは
「自分の人生を楽に生きていると実感できること」
です。
(星野の定義)
前提として、
「人の役に立っていようがいまいが、自分の価値は変わらない」
「あなたは、誰かの期待に応えるために生きているのではない」
です。
「正しいかどうか」
「そうすべきかどうか」ではなく、
「自分の人生がより豊かで満ち足りたものになるのに『役に立つかどうか』」
で行動を主体的に選択していくと、
少しずつ自分の人生を生きているという実感を得られるようになっていきます。
自分の人生を生きるためのヒントになれば、
幸いです。
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